KuraDaの設計哲学:測定と感覚、その「あいだ」を設計する
- iidapiano
- 6 日前
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オーディオ機器を設計する者にとって、**「測定できること」**は確かに強力な武器です。 数値は再現性を生み、性能の裏付けとなり、検証や改善の指針にもなります。 KuraDaでも、周波数特性や歪率、過渡応答といった測定項目の重要性は疑いません。むしろ徹底してきました。
しかし一方で、私たちはこうも考えています。 音のすべてが、まだ数値で正確に表現できるわけではない。
私たちは、「測定で語り尽くせない領域」が存在することを前提としながらも、 その不確かで未整備な部分に、耳と技術の両面から輪郭を与えていくことこそが、設計者の責任であり挑戦だと考えています。
“いい音”は、いまもなお定義の途中にあります。 なぜなら、耳で感じる“心地よさ”や“音らしさ”は、まだ数値で完全には捉えられていないからです。 だからこそ私たちは、その未定義の感覚を信じ、手を伸ばし続けています。
音響心理学との出会いと向き合い方
── 音の“感じ方”を設計に取り込むという挑戦
KuraDaが「音響心理学(Psychoacoustics)」という分野と真剣に向き合い始めたのは、開発現場での実践的な問いがきっかけでした。 それは、設計中に行うさまざまな構造変更によって、音の印象が確かに変わるという日々の実感に基づくものです。
イヤーパッドの角度を数度変える。ベントの通気性をわずかに調整する。音響フィルターの素材を替える。 ──すると、音が「明るく」なったり「遠く」なったり、「自然」に感じたり、あるいは「疲れにくく」なったりする。
けれど、それがなぜそう感じるのか、そして構造の何がどう作用してそう感じさせるのかは、 単に測定グラフの変化を見ただけでは説明しきれないことが多々ありました。
実際、測定上の違いは検出できることがほとんどです。 ですがその物理的変化が、どのような知覚体験としてリスナーに伝わるのか── そこには、**測定と感覚の“あいだ”**に横たわる大きなギャップがありました。
このギャップを埋めるために、私たちは音響心理学、さらには感性工学や認知心理学、生理音響学といった周辺分野の知見にも関心を広げていきました。
たとえば──
• マスキング現象や臨界帯域理論(Critical Band Theory) → 周波数が近接する音同士が干渉し、知覚上の明瞭度や分離感に影響する
• スペクトル微細構造とラウドネス知覚(Spectral Shape & Loudness Perception) → 微細なピークやディップが、刺さり・こもり・聴き疲れに関わる
• HRTFに基づく空間知覚(Binaural Hearing Theory) → 音像定位や音場感に対する個人差の要因となる
• トップダウン補正と経験による聴感(Perceptual Modulation & Compensation) → 記憶・注意・期待による知覚の変化
私たちは、これらの知識を“理論”として取り込むだけでなく、 設計における構造化のヒントとして活用し始めました。
つまり、感覚を感覚のままにせず、再現可能な構造要素として定義するという方向に向かったのです。
設計の現場で起きていること
── 「感覚」を言語にし、「構造」に落とし込む
音響心理学や周辺分野の知見を学ぶだけでは、設計は進みません。 KuraDaが本当に大切にしているのは、現場で起きている“微細な気づき”を、設計にどう活かすかという姿勢です。
たとえば、ある開発中の試作機で、音響フィルターの素材をほんの少し変えただけで、「中高域の刺さりが和らいだ」とエンジニアが感じたとします。
この「刺さり」の正体は何か? 物理的な測定項目では何が変わったのか?それが聴感のどの要素に結びついているのか?
──私たちは、それを一つひとつ検証し、**再現可能な構造要素**として設計に落とし込もうとしています。
実際、私たちの設計現場では、イヤーパッドの形状やドライバの角度、チャンバーの容積やベントの通気性といった要素が、音像や音場、過渡応答などに与える影響を、**測定と試聴の両面から綿密に観察**しています。
こうした微細な調整とその聴感的な効果の関係を丁寧に記録し、積み上げていく。
それは、「この構造にすれば、この音になる」と言い切れる領域を、 ほんの1つでも多く増やしていく地道な作業です。
測定で語れないことを、構造で語れるようにする。 その試みこそ、私たちの設計そのものだと考えています。
数値では語りきれない“音”のために
──「良い音」は、数値の優劣では語れない
現代のオーディオ開発では、さまざまな測定項目が重視されます。 THD+N(歪率)、周波数特性、過渡応答、CSD(残響減衰)── いずれも音を定量的に捉えるうえで、非常に重要な指標です。 私たちKuraDaも、それらを軽視しているわけではありません。むしろ、正確に測定し、設計の土台としています。
ですが私たちは、「測定値の優秀さ」がそのまま“良い音”につながるわけではないという立場を取ります。
たとえば、THD+Nが限りなくゼロに近い音は、必ずしも“心地よい”とは限らない。 周波数特性が完全にフラットであっても、“自然に聞こえる”とも限らない。 過渡応答が鋭くても、“音に勢いがある”と感じられるとは限らない。
これらの数値は、あくまで物理的に起きている現象の断片を示しているにすぎず、 人間の知覚がそれをどう受け取るかという“変換”の過程には直接アクセスできないのです。
統計的な平均はあっても、“その通りに聞こえる耳”は存在しない。
だからこそ、私たちは音響心理学や感性工学、認知心理学といった知見に向き合い、 「測定と聴感のあいだ」にある現象を設計の中で捉えようとしています。
数値は大切。けれど、それは“問いの入口”であって、答えそのものではない。
数値で示しきれないものを、構造として形にする。
それが、私たちKuraDaがオーディオと向き合う理由であり、ものづくりの原点です。
KuraDaが目指すもの
──「一度の理想」ではなく、「何度でも再現できる感覚」
私たちが設計において目指しているのは、**偶然の産物としての“良い音”ではなく、再現性のある“感じられる音”**です。
開発の過程で得られた感覚的な発見──たとえば「この角度にすると定位が自然に前に出る」「この通気構造にすると聴き疲れが軽減する」
それらをただの経験則として終わらせず、「次に作るときも同じように感じられる音」に仕立てるために、構造に落とし込む。
KuraDaにとって、音の設計とは「感覚の痕跡を、構造として確定させていく行為」なのです。
私たちは、音が“どう聴こえるか”という現象に対して、数値で測れる領域も、測れない領域も、等しく設計対象とみなすという立場を取ります。
終わりに
── 感覚を軽んじないものづくりへ
「良い音」は、まだ誰にも定義しきれていません。
それでも、人間が「心地よい」「自然だ」「疲れにくい」と感じる音には、必ず理由があると信じています。
測定で捉えられる情報は、その理由の一部です。
けれど、それだけで“人が感じる音”のすべてが説明できるとは、私たちは考えていません。
だからKuraDaは、音響心理学や隣接分野の知見を取り入れながら、測定と感覚の“あいだ”を、ひとつひとつ設計に変換していく道を選びました。
それは、科学と感性の両方に誠実でありたいという、私たち自身の姿勢でもあります。
KuraDaの製品が“スペックで語れない部分”を持っているとすれば、
それは、私たちが耳の感覚を軽視していない証です。
測定技術と音響心理学の“あいだ”にある、その曖昧で人間的な領域こそ、
私たちが設計として最も大切にしているところなのです。
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